バタフライvs.ドイツ 日独ラバー物語<後編その1> ベールを脱ぐ世界最大のラバーサプライヤー、ESN
別冊卓球グッズ2023掲載
「ドイツラバー」とはESN社が生産し、17ブランドに供給するラバーだ。
今まで表に出ることのなかったESNを紹介する世界初の潜入ルポ。
卓球市場の半世紀を振り返り、バタフライというモンスターブランドに立ち向かったESNという会社に光を当ててみる。「たかがラバー、されどラバー」。卓球選手がこだわり抜く「ラバー」のもうひとつの物語だ。
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写真=江藤義典 photographs by Yoshinori Eto
ドニックの創業者は「いつか自分の工場を作る」と夢を抱き、1991年にラバー工場「ESN」を起ち上げた
タマス社の創業からおよそ40年後。1991年にひとりのドイツ人がラバー工場「ESN」を起ち上げた。ゲオルグ・ニクラス。78年にドニックという卓球メーカーを創り、アペルグレン、パーソンというスウェーデン選手を核として、卓球界に新風を吹き込んだ卓球ブランドの創業者でもある。
彼自身はブンデスリーガ1部で8シーズン、プレーすると同時に、化学エンジニアとしてPHD(博士課程)を取得した、異色のキャリアを持っている。81年までブンデスリーガでプレーしていたので、博士課程をとりつつ現役を続け、卓球ブランドを起ち上げたことになる。
「ドニック時代に、卓球ブランドはマーケティングの会社であり、自ら商品を作るわけではないから、メーカー(Maker)ではないことに気づいた。ブランドは商品を創造することはできるけど、商品を自社生産はできない。私は化学エンジニアであり、科学の分野にいた人間だ。だからこそ、中国や日本に行った時にいつか自分の工場を作ろうと考えていた」(ニクラス)
その後、ニクラスはドニックを「スポーツ・シュライナー」社に売却して、そのお金をラバー工場創業のためにつぎ込んだ。89年からゴム関連会社で働いていたホルガ・シュナイダーと卓球ラバー製造の準備を始めた。彼もやはり卓球選手だった。「シュナイダー自身はゴム職人で、ほかのベテランの職人を知っていた。夕方に集まり、その職人を呼んでいろいろ勉強をしながら、2年後の91年3月にESNをスタートさせた。シュナイダーが電話をくれた時に、『卓球のラバー工場を作ることが自分のやりたかったことだ』とわかった。どのくらい費用がかかり、どのくらいの利益を得られるのかと、その準備に2年間かかった」(ニクラス)。