Top of Asia 張本美和・後編 『私は勝っても負けても、しっかり相手の顔を見て握手するようにしているんです』
水谷隼、今明かされる「全日本の真実」。練習で50回以上は試合をしていた張一博戦、5ゲーム目7-9からの逆転勝ち
卓球王国2023年9月号 vol.4
Text by
水谷隼Jun Mizutani
青森山田でのゲーム練習。2対8の割合で負けていたのが張一博だった
青森山田の先輩で4歳上の張一博(元日本代表/現・琉球アスティーダ監督)とは公式戦で対戦するのは初めてだった。その試合とは2010年1月の全日本選手権の男子シングルス準決勝。しかし、彼とはそれまで50試合以上はゲーム練習を行っていた。私が青森山田中に転校してから、私が青森にいる時にはほぼ毎日練習していたからだ。
当時、青森山田では台を横に10台並べて、奥(右端)から3台目がメインコートで、そこから強さ順で端の台のほうに流れていく。奥から3台目は吉田安夫先生(卓球部監督・故人)がすぐ後ろにいる台だった。その台は一番強い選手が練習する台でもあり、ほとんどの選手はその台に入ることを避けていた。なぜなら吉田先生の前で練習をする恐怖心があるからだ。
当時の青森山田は中高生(のちに青森大の選手も)が一緒に練習していて、練習前に選手同士で練習相手を決めて、3台目のメインコートを避けて台についていた。後ろで吉田先生が見ていて、内容が悪いとこっぴどく怒られることもあるので、なるべく奥から3台目や、その隣の台を避けていたのだ。