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【伝説のプレイヤーたち】全日学を制した隻腕・北村秀樹 前編「22歳のサムライはひとり、忽然と卓球界から姿を消した」

The Legends 第5回 北村秀樹(1965年全日本学生選手権優勝)

左腕から繰り出す豪打、また豪打。
その男は、ひとたびラケットを握れば
驚異的なフットワークでコートを疾駆(しっく)し、強敵を次々に打ち破っていった。
「ひとりのアスリートとして生きたい」その願いが叶えられぬまま、
卓球界を去った伝説の勝負師。北村秀樹は今、何を語るのか。

■Profile きたむら・ひでき
1944年7月10日生まれ、兵庫県出身。アメリカ軍の空襲によって生後8カ月で右腕を失う。中学1年で卓球を始め、神戸商業高3年の時にインターハイ3位。専修大に進み、大学2・4年に大野充平とのペアで全日本学生ダブルス優勝、大学3年で全日本学生優勝。将来を嘱望(しょくぼう)されたが、大学卒業とともに第一線を退いた。2023年9月30日 逝去

Interview by

今野昇・柳澤太朗Noboru Konno、Taro Yanagisawa

 「私が大学1年で専修大卓球部に入部した時、一番強いと思ったのが北村さん。誰より強いと思ったね。実際に誰と試合をしても負けなかった」
 77年世界選手権のチャンピオン・河野満は、専修大卓球部で二学年上だった先輩の印象を、そう振り返る。
 「言うことはいつも正論、頑固で曲がったことが大嫌い。そんな北村さんが好きだった。だから北村さんになら、たとえ殴られたとしても納得したね。それくらい、卓球に対する真摯(しんし)な姿勢というものを持っていたから」
 「卓球ニッポン」の威信を賭け、日本が世界の卓球界で中国と覇権を競っていた1960年代。その選手は左腕から放たれる強烈なフォアドライブで日本の頂点へと近づき、日の丸を胸につけた。そしてあまりに短い選手生活のピークの後、無言で表舞台を去っていった。
 1965年、全日本学生選手権チャンピオン、北村秀樹。
 現在では6人の孫に恵まれた、68歳の好々爺(こうこうや)。卓球界を離れてからの数十年間で、数えられるほどしかラケットを握っていない。しかし、スラリと伸びた背筋、相手の視線をとらえて離さない眼光の鋭さは、往年の名剣士のような迫力を持っている。
 「先日、息子や孫たちにせがまれて、近所のスポーツ施設で久しぶりに卓球をやったんです。フォアハンドで、ミスをせずにラリーを続けることはできます。でも、もう戻りが遅くなってしまってね。何だかせわしないんですよ」

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