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[卓球本悦楽主義24] スウェーデンの強さのヒミツをあますところなく描いた傑作

〈卓球専門書の愉しい読み方24〉卓球王国2005年12月号掲載

Text by
伊藤条太Jota Ito

『スウェーデン卓球 最強の秘密』

 ■ イエンス・フェリッカ/グレン・オースト 共著 [平成三年  今野昇訳  TSPトピックス編集部監修  ヤマト卓球株式会社]

スウェーデンの強さのヒミツをあますところなく描いた傑作

 80年代の末から数年間、男子世界卓球界の頂点に君臨したスウェーデンの強さの秘密をあますところなく描いた傑作である。

 著者は元国内男子ダブルス準優勝(パートナーはアペルグレン)でフリージャーナリストのイエンス・フェリッカと、87年から90年までナショナルチームの監督を務め、スウェーデンを16年ぶりの男子団体優勝に導いたグレン・オースト。
 人口850万足らずで、卓球人口が日本の16分の1(当時14,000人)のスウェーデンが、どのようにして世界一になったのか、そのエッセンスが一杯に詰まっている。 
 内容は、斬新でシンプルでそれでいて説得力があり、中級以上の選手や指導者にも本当に役に立つ、稀有(けう)な卓球本である。

著者のイエンス・フェリッカ(右)と、グレン・オースト

 本書を読むと、スウェーデン卓球の根幹にあるのが、オープンマインドと創造性であることがわかる。 
 他国の良いところは積極的に取り入れる。選手と指導者は対等で、選手は自分が納得がいくまで指導者と話し合い、納得しなければ従わないし、指導者も強制はしない。練習には常に不規則な要素が入れられ、何本もラリーを続ける練習はしない。そして選手自身が常に自分の卓球について考えることが習慣づけられている。これらは一流選手だけでなく、ジュニアの選手でも同じである。

 歴史的には、スウェーデンの卓球の基礎を作ったのは、荻村伊智朗である。
 荻村は、まだ現役時代の59年から64年にスウェーデンに3回滞在し、ナショナルチームの指導にあたった。彼がスウェーデンに導入したのは、日本式の規則的なラリー練習、フットワークや戦術パターンを別々に分けて練習する分習法、そしてハードな体力トレーニングであった。荻村が指導した5年間でスウェーデンはヨーロッパでナンバーワンとなり、さらに練習を自分たちに合うように改良して力をつけ、70年代になると、日本を追い抜いて中国と世界のトップ争いをするまでに成長していった。

 著者らは70年代の日本の卓球を次のように評する。

 ほとんどの日本選手は、説明できないほど頑固で、攻撃選手はバックハンドをあまり必要としないという独特の考えにしがみついていたのである。これは、卓球の流れや相手の力量を低く見積もっている表れである。(中略)バックハンドを使わずに常にフォアハンドで勝負しようとするのは、外から見ると玉砕勝負、「腹切り卓球」をしているように見えるのである。

 「日本はすばらしいハイテクノロジーを駆使し、常に新しい発想のもとでビジネスを成功させ、世界の経済界での地位を確立した。なぜ、日本の卓球は日本のビジネスの手法で改革しないのか」と著者らは首をかしげる。
 バックハンドの強化は日本国内でも60年代から叫ばれていたが、現実には、その具体的な方法論が確立していなかったのではないだろうか。

 そのひとつの現れが、本書で解説されているグリップに関するノウハウである。

 シェークハンドには、フォアハンドグリップとバックハンドグリップがある。選手の技術的な長所と短所を考えるときの最も大切なポイントは、その人がどうやってラケットを握っているかということである。

 本書で解説されているグリップのポイントは、ラケットの柄を手の中でどのように捻(ひね)って握るかである。ラケットのブレードが親指の付け根側に当たるように持つのがフォアハンドグリップ、人さし指の付け根側に当たるように持つのがバックハンドグリップとされている。そして、これらのグリップによってやりやすい技術とやりにくい技術が表で細かく解説されているのである。(左表参照)

 当時の日本でも漠然と”フォアハンドのやりやすいグリップ”と”バックハンドのやりやすいグリップ”という概念はあったが、スマッシュとドライブを分けて分類する概念はなく、これは画期的であった。

本著より。グリップによる技術のやりやすさを示した表

 世界一のバックドライブを放つリンドやロスコフが、パーソンやワルドナーほどのバックスマッシュやフォアドライブが打てない、といったことは、偶然や選手の才能によるものではなくグリップの特性だったのである。

 私はこの解説を読んだとき、大きな衝撃を受けた。それは、新しい知識を得た喜びよりむしろ”これほど明確に言葉になっている重要なノウハウが、なぜ今まで日本では広まっていないのか”という悔しさであった。

 現在、このノウハウが日本に浸透しているかどうかは、読者の判断に委(ゆだ)ねたい。ただ確実に言えることは、これが正確に解説されている卓球指導書は、日本では未だに一冊も発売されていないということである。

 本書の巻末には、ある人物による「特別寄稿」が収録されている。それは次のように締めくくられている。

 

 さて、読者の中に選手や指導者たちがおられたら、望みたい。それは、彼らスウェーデンが自壊作用を起こすのを待つのではなく、この本の中から優点を取り入れ、彼らの全盛時代に彼らを倒す偉業を成し遂げることだ。
 そうして日本に倒されたスウェーデンがまた立ち上がり、中国が、ハンガリーが、そして第5の強国が興隆し、凄い争覇を繰り広げる。卓球はスポーツの中のスポーツと呼ばれることになるだろう。
 この本にそのような夢を捜したいものである。

荻村伊智朗・国際卓球連盟会長

“スウェーデンのオギムラ”と言われたスウェーデン初のプロコーチ、クリスター・ヨハンソンとカメラに収まる荻村伊智朗

 本書が発行されてから14年が経った。荻村の夢を我々はどこに捜したら良いのだろうか。(文中敬称略)

*太字は原文から引用してそのまま掲載

■Profile いとう・じょうた

1964年岩手県生まれ。中学1年からペン表ソフトで卓球を始め、高校時代に男子シングルスで県ベスト8。大学時代、村上力氏に影響を受け裏ソフト+アンチのペン異質反転ロビング型に転向しさんざんな目に遭う。家電メーカーに就職後、ワルドナーにあこがれシェークに転向するが、5年かけてもドライブができず断念し両面表ソフトとなる。このころから情熱が余りはじめ卓球本を収集したり卓球協会や卓球雑誌に手紙を送りつけたりするようになる。卓球本収集がきっかけで2004年から月刊誌『卓球王国』でコラムの執筆を開始。世界選手権の[裏]現地リポート、DVD『ザ・ファイナル』の監督なども担当。中学生の指導をする都合から再びシェーク裏裏となり少しずつドライブができるようになる。2017年末に家電メーカーを退職し卓球普及活動にいそしむ。著書に『ようこそ卓球地獄へ』『卓球天国の扉』がある。仙台市在住。

ようこそ卓球地獄へ
卓球天国の扉