ロゴ画像
卓球王国PLUS > 読み物+ > 【伝説のプレイヤーたち】伊藤繁雄 後編「『×(バツ)』も見方を変えれば『+(プラス)』になる」
記事見出し画像

【伝説のプレイヤーたち】伊藤繁雄 後編「『×(バツ)』も見方を変えれば『+(プラス)』になる」

The Legends 第18回 伊藤繁雄(1969年世界選手権男子シングルス優勝/卓球王国2018年10月号掲載)

Interview by

今野昇・柳澤太朗Noboru Konno & Taro Yanagisawa

豪快無比なフォアドライブの連打で、
「ペンドライブ型」というスタイルのイメージを
決定づけた世界王者・伊藤繁雄。
自信家にして楽天家、豪腕にして創意工夫の鬼。
誰も真似のできない卓球人生を、太く短く、駆け抜けていった。

■Profile いとう・しげお
1945(昭和20)年1月21日生まれ、山口県出身。富田中・山口県桜ヶ丘高を卒業後、2年間の社会人生活を経て専修大に入学。大学3・4年時に全日本選手権2連覇を果たして69年世界選手権の代表に選ばれ、男子団体・シングルスで優勝。71年名古屋大会でも男子団体・シングルスで準優勝するなど、世界選手権で「金2・銀2・銅4」の8枚のメダルを獲得。大学卒業後は(株)タマスに入社し、後進の育成にも尽力した

練習でも、ご飯を食べるのも、トイレに行くのも、
常に一番でなければ気が済まない性格でした(河野)

 「卓球に対する姿勢は、大学1年の時から世界一でしたね」

 伊藤と同期で専修大に入学した河野満は、伊藤繁雄の練習への姿勢をそう評する。同学年ながら2歳年上で、自分の兄と同じ年だった伊藤のことを、河野は「兄貴」と呼んだ。伊藤・河野に加えてもうひとり、京都・東山高卒の正統派ペンドライブマン・馬淵常美を加えた3人は、互いを認め合うライバルだった。

 伊藤が入学した年、専修大男子は川井一男(54年世界団体優勝)が監督に就任。川井は伊藤・河野・馬淵を軸に、4年かけて専修大の黄金時代を築くという構想を描いていた。社会人を経て入学した伊藤は、規定によって半年間は学生の大会に出場できなかったが、1年の秋から4年の秋まで、関東学生リーグでは常にレギュラーとして起用された。

 「俺のほうが強いのに、なんであいつらが出るんだ」。そんな声も上級生の間からは漏れてきたが、川井は自らの構想を譲らなかった。

 「日本一のチームを作るんだという私の意気込みと、日本一になって世界で勝つという伊藤の意気込みが一致した。その集大成として、大学卒業時の世界選手権優勝があるのだと思います。伊藤は卓球に対する意気込みが他の選手とは違っていた。練習には常に前向きに全力投球、アイデアも豊富でしたね」(川井)。

卓球王国PLUS有料会員になると続きをお読みいただけます

卓球王国PLUS有料会員は月額440円(税込)。
登録すると「卓球王国PLUS」の記事をすべて閲覧できます。
退会はいつでも簡単にできます。