1950年代の軍拡競争~スポンジ革命~〈その3〉前編
卓球王国2026年7月号掲載「The 1950s Arms Race』 1950年代の軍拡競争~スポンジ革命~〈その3〉より
卓球コラムニストで卓球史研究家として活動する伊藤条太氏が、アメリカの卓球史研究家による記事を翻訳し紹介。1952年世界選手権男子シングルス優勝の佐藤博治が使用した「スポンジラバー」が世界の卓球界に衝撃を与え、そこから巻き起こった「スポンジ革命」について、綿密な取材と調査にもとづき深掘りした興味深い内容となっている。今回は、3号連載の最終回・7月号に掲載された〈その3〉の前編を紹介する。
●1950年代の軍拡競争~スポンジ革命~〈その2〉後編 はコチラ
Text by Steve Grant
Translated by Jota Ito
■Profile Steve Grant スティーブ・グラント
著書に『Ping Pong Fever、The Madness that Swept 1902 America』(2012年)がある。また、2023年9月に『TABLE TENNIS HISTORY』を創刊し、年に3冊のペースでインターネットで発表し続けている。

アメリカの卓球史研究家、スティーブ・グラントが国際卓球連盟(ITTF)の会報『テーブルテニス・コレクター』2015年2月号で発表した、1950年代のスポンジ革命についての記事「The 1950s Arms Race」(1950年代の軍拡競争)を紹介する第3回。 最終回となった今号では、卓球界に登場したスポンジという新兵器が、さまざまな議論を巻き起こしながら、最終的にその使用が制限されるまでが描かれる。当時の卓球界では用具に関するルールそのものがほとんどなく、表面が明るかったり、輝くラケット以外は、形も大きさも重さも材質さえもが自由だった(木材でなくてもよかった)。引き続きスポンジを使い放題とするのか、制限を設けるのか、設けるとすれば何を根拠にどのようなルールにするのか。完全自由派から、「一枚ラバー以外はすべて禁止にすべきだ」という保守派までさまざまな意見があったが、制定されたのはそれらの中間と言える妥協案だった。そして、このとき制定されたルールが今なお生きており、卓球用具の性能を規定しているのである。 〈伊藤条太〉
「その新しいラバー(裏ソフト)は、従来の選手たちにとって重すぎて使いものにならない」
ジョニー・リーチ(1949年、1951年世界選手権男子シングルス優勝)
ヨーロッパを中心に、依然として多くのスポンジ反対派が残っていた。1955年のITTF総会では、スポンジ禁止案がベルギーから出されて再び否決されたが、この問題を検討すること自体は可決された。1956年の会議でも同様の結果となった。
1955年に出版された著書「ザ・ツインズ・オン・テーブルテニス」の中で、ダブルスの世界チャンピオン、ダイアン・ロウとロザリンド・ロウの双子姉妹(イングランド)は、スポンジ禁止を訴えた。
イングランドのオーブリー・サイモンズは、1955年12月の『テーブルテニス』誌の記事で、スポンジを試した選手の大半はコントロールが難しすぎるとして、普通のラバーに戻したと主張した。ある統計では、1955─56年シーズンのイングランドの愛好者でスポンジを使用していた選手はわずか8・4%であった。1956年5月にはイングランドの識者が「有望な若手選手ほどスポンジに転向するのを拒否している」と書いている。

