【セカンドキャリア】森本洋治「大切なのは、人の価値を『卓球の強い・弱い』という物差しだけで測らないこと」
森本洋治[元インターハイチャンピオン・日本代表/日産自動車]
卓球王国2026年8月号掲載 vol.33
高校時代からまっすぐな男だった。卓球でも人としての生き方でもそうだった。それは日産自動車で社会人生活を送る中でもそうだったのだろう。コツコツとした努力型でありながら、人に好かれるキャラクターを持つ森本洋治のセカンドキャリア。
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[もりもと・ようじ]
1972年6月17日生まれ、東京都出身。1989年、上宮高2年でインターハイシングルス優勝、全日本ジュニア優勝。日本大進学後に、世界選手権日本代表に選出。日産自動車に入社し、日本リーグでも活躍した。
矛盾や理不尽の連続だった高校時代。「社会に出て何があっても大丈夫だ」という強い精神力が身についた
小学4年で卓球を始め、同級生の皆川顕一とともに後楽園クラブに通い、中野一中では全中ベスト8。上宮高でインターハイ優勝、全日本ジュニア優勝などを成し遂げ、日本大在学中の1991年に世界選手権へ出場。卒業後に日産自動車へ入社した。
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ぼくは大阪の上宮高卓球部の4期生として、田中拓総監督と河野正和監督の厳しい指導のもとで鍛えられました。中学時代からの仲間である皆川顕一も一緒です。当時の思い出はここでは書けないことばかりですが(笑)、矛盾や理不尽の連続でした。でも、あの時代を経験したおかげで「社会に出て何があっても大丈夫だ」という強い精神力が身についたと思っています。上宮高は練習メニューはなく、個々の判断に任される環境で、田中先生が河野先生にボールを投げつけながら「こんな練習で日本一になれるのか!」と怒鳴っていた光景には度肝を抜かれました。
1年生の途中までは河野先生の自宅に下宿していたのですが、「もっと自分を律した生活をしよう」と一念発起し、お願いをして当時の小林理事長が住職をつとめる満願寺に1年生の1月からお世話になりました。東京から出てきた以上、手ぶらで帰るわけにはいかない。あえて厳しい環境に身を置いたことが、ぼくの最初の転機でした。

