ロゴ画像
卓球王国PLUS > コラム > 【People】山岡弘明、選手との距離感を変えずに指導してきた37年 
記事見出し画像

【People】山岡弘明、選手との距離感を変えずに指導してきた37年 

山岡弘明[大阪桐蔭高卓球部監督]

卓球王国2026年11月号掲載

[やまおか・ひろあき]
1963年12月12日生まれ、大阪府出身。中学2年で卓球を始め、淀川工業高校で全日本ジュニア出場およびインターハイ団体出場を果たす。近畿大学では関西学生選手権ダブルスで優勝し、和歌山銀行に入行。4年後に退職し、大阪桐蔭高校の職員になると同時に卓球部の監督に就任した

Text by
今野昇Noboru Konno

スペインが大好きだった松本は愛する妻とともにスペインのバルセロナで暮らしている

地元・大阪で開催されたインターハイの学校対抗に、5年ぶりに出場した大阪桐蔭高校。山岡弘明監督は、最後のベンチでチームを準々決勝まで導いた。学校を退職するのは2年後だが、後継監督への引き継ぎを見据え、今大会を節目と位置づけた。観客席には大勢のOBが駆けつけ、熱い声援を送った。

◇

 山岡が卓球を始めたのは中学2年と遅かったが、すぐにその魅力にのめり込んだ。「星野クラブ」の一期生として、元世界ダブルスチャンピオンの星野展弥から可愛がられた。星野の勧めで公立の淀川工業高(現・淀川工科高)に進学。学校の練習に加え、上六卓球センターでも腕を磨き、全日本ジュニアの予選を突破して本戦に出場。学校対抗でもインターハイ出場を果たすまでに実力を伸ばした。

 近畿大に進学後は髙島規郎の指導を受け、関西学生選手権ダブルス優勝など実績を残して和歌山銀行に入行。当初は指導者になる道を考えていなかったが、銀行勤務を経て4年後に転機が訪れる。卓球部を新設する大阪桐蔭高から声がかかり、星野の勧めもあって職員として着任。1990年4月、26歳で卓球部をゼロから立ち上げ、監督に就任した。

 当初は専用の練習場さえなく、ラグビー部のトレーニング場を半分間借りし、卓球台4台からのスタートだった。そうした環境の中でも、谷口陽一、川口努、下山隆敬といった全国区で活躍する選手が育っていった。指導を始めた当初はスパルタ式だったが、メンタルトレーナーの岡澤祥訓との出会いを通じて指導法は大きく変わった。

 「最初の頃は上宮高校が強くて勝てなかったけれど、上宮に勝つことを目標にできたのが良かった。上宮は厳しい指導で有名でしたが、自分が同じことをしても勝てない。岡澤先生の力を借りて別の指導法を模索したんです」

 それは、選手に強制的な指示を押し付けるのではなく、自主性を重んじるチーム作りだった。その方針が実を結び、1996・2016年のインターハイ学校対抗で3位に入賞した。 

 今年で指導歴37年目。「長くやったという意識はなくて、あっという間に30年以上過ぎた感じです。その年その年で選手も違うし、この選手にはどういう育て方が合っているのかを考えてやってきたら、気づけばあっという間でした」。

 この36年の間に、高校卓球界は中高一貫の6年間を通じた強化体制へとシフトしていった。大阪桐蔭にも中学はあるものの、学力レベルが高く運動部を本格的に強化する体制ではないため、高校からの3年間で全国トップレベルまで育てるのは容易ではない。

 「選手とはできるだけコミュニケーションを取りたいと思ってやってきました」。職員としての多忙な日々の中でも、ほぼ毎日練習場に顔を出し、選手たちが自主的に取り組めるメニューを提案してきた。「選手たちが自主的に練習できるのも桐蔭のスタイルであり、誇りです」と山岡は語る。

 これまでに送り出した卒業生は200名近くにのぼる。今年の大阪インターハイには、多くの卒業生が駆けつけた。

 山岡の後任は、教員3年目でOBでもある藤井崇生が務める。さらに外部コーチの谷口隆介もサポートに加わっている。「大変なこともあったけれど、子どもたちと接してきた時間は本当に楽しかった」。

 長く大阪桐蔭高の監督を務めた山岡弘明。そのバトンは、確かな絆とともに次の世代へと受け継がれていく。

 (文中敬称略)