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真説 卓球おもしろ物語14【張燮林と林慧卿“魔球”の猛威、空前絶後の壮絶なリュブリアナ大会合宿 】

〈その14〉卓球王国2021年8月号掲載

Text by

伊藤条太Jota Ito

今回は、1961年北京大会から1965年リュブリアナ大会までのお話。北京・プラハ大会ともに中国の猛追を受けた日本男子は、プラハでは「魔球」に襲われ中国に完敗に終わる。女子もエースの松﨑がプラハで引退。危機感をつのらせた日本チームは、65年のリュブリアナ大会に向け壮絶な合宿を実施した。

参考文献:本誌2003年8月号「荘則棟インタビュー」、本誌2012年12月号「高橋浩インタビュー」、(公財)日本卓球協会創立八十周年記念誌 藤井基男談話
写真:「写真で見る日本卓球史」(公財)日本卓球協会(平成15年)

周恩来が提案した日中交歓卓球

 1961年世界選手権北京大会の後、周恩来(シュウ・オンライ)総理によって日本選手団の送別会が北京飯店で開かれた。周恩来は、日本選手の戦いぶりに敬意を表したが、特に松﨑キミ代について「常に微笑みを絶やさず、勝っておごらず負けてもくじけない。この風格を中国の選手は学ばなければならない」と語った。「松﨑に学べ」は当時中国で有名になった。
 実際、当時の松﨑のプレーの写真を見ると確かに微笑んでいるように見えるものがあり、不思議な魅力を湛(たた)えている。この件をご本人に聞いてみたところ、学生時代から笑っていると言われることが多かったがそういうつもりはまったくなく、単にそう見える顔つきなのだろうとのことだった。一国の総理を誤解させるほどの顔つきだったわけだが、世界チャンピオンになったから良いようなものの、弱かったら「笑ってるから負けるんだ」と説教をされるところで、非常にハイリスクな顔つきだったと言える。
 ともかく、松﨑は周恩来からいたく尊敬され、最初の挨拶(あいさつ)のときから「アナタ、イチバン」と言われ、隣の席に座らせられている。

微笑んでいるように見える松﨑キミ代(1959・1963年
世界チャンピオン) 写真提供=卓球レポート/バタフライ

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