水谷隼&吉村真晴の本音トーク「わざとこの人はやっていたんだ。つじつまが合ったので、この人怖いです」
真説 卓球おもしろ物語15【激変する日本卓球界 、打倒中国の切り札、「強化対策本部」の設立】
〈その15〉卓球王国2021年9月号掲載
Text by
伊藤条太Jota Ito
1965年世界選手権リュブリアナ大会で直前合宿の手応えを感じた、荻村伊智朗と兒玉圭司。中国に対抗するため「強化対策本部」の設立を半ば強引に実行したのだが……。卓球歴史研究家で、本誌掲載『マンガで読む卓球ものがたり』の作者である伊藤条太氏が、当時の組織内のきしみを条太節(ぶし)で解説する。
参考文献:季刊「卓球人」第5号
写真:「写真で見る日本卓球史」(公財)日本卓球協会(平成15年)
打倒中国の切り札、「強化対策本部」の設立
1965年世界選手権リュブリアナ大会で強化の手応えを感じた荻村伊智朗と兒玉(こだま)圭司は、帰国後、本格的な強化組織の構築に乗り出した。
それまでの強化は、ほとんどボランティアで予算も人員も十分ではなく、合宿の場所探しから選手に出す食事のメニューの交渉まで荻村と兒玉の二人で行っており、ときには身銭(みぜに)を切る状態だった。それでは年間を通した強化は難しい。
中国に対抗するためには十分な予算が確保できる強化組織を作ることが必要だった。そのためには最低でも副会長をトップとする直轄組織にして、理事会と独立した組織にする必要がある。
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