呉光憲「私は卓球選手で成功するのは難しいと思って、22歳の時、指導者になろうと決めました」
卓球王国を独占記事 <前韓国代表監督・呉光憲インタビューVol.1>
呉光憲は日本での指導キャリアは22年、韓国では10年。長い指導キャリアの道を歩んできた。オンラインでのインタビューは2時間以上に及んだ。呉光憲が申裕斌に渡した手紙に思いを巡らせた。五輪で韓国が手にした2個のメダルには物語があった。パリ五輪後に韓国代表監督を辞任した呉光憲の単独ロングインタビューの全文を掲載しよう。
Interview by
[呉光憲 オ・グァンホン]
1970年9月9日、韓国・富川生まれ。22歳からプロ卓球コーチとしてソウル商業高校の指導、24歳の時に来日、淑徳短大の監督として活動。その後、2013年にナショナル女子チームのコーチに就き、その後、ジュニアナショナルチーム(JNT)の監督に就任。2017年に韓国に戻り、実業団チーム監督を経て、2022年に韓国女子代表チーム監督に就任。2024年パリ五輪では混合ダブルスと女子団体で2個のメダルを獲得した。パリ五輪後に監督を辞任し、現在、実業団の「ポラム」のGMを務める
韓国で生まれたけど、ぼくは選手としては活躍をしてない。だからオリンピックでメダルを獲ったのはすごくうれしかった
パリ五輪の混合ダブルスは初メダルを獲得し、団体では4大会ぶりのメダルを獲得した韓国。
それまで「代表監督は選手としての実績を持っている人を起用」という不文律を破ったのは2021年時に韓国卓球協会の会長だった柳承敏(元五輪金メダリスト)であり、「代表監督の公募」を実行し、手を挙げて監督に抜擢されたのは呉光憲だった。
22歳でプロ卓球コーチになった呉光憲は日本で指導のキャリアを積んで、韓国に戻ってから代表監督になった異色の経歴を持つ人だ。
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●ーまずはパリ五輪お疲れ様でした。韓国に帰ってからは大変だったみたいですね。
呉光憲(以下呉) そうですね、パリから8月12日に帰ってきて、テレビ放送局からドキュメンタリーを作りたいということで、10日間くらいずっと撮影してました。それが9月19日にちょうど放送されました。
私の生活。日本ではどうやって生活していたのか、日本の卓球選手を育てていたのはいつから始まったのか、韓国卓球のこと、自分の韓国での生活とかですね。それから仲間同士で一緒に食事したり、家族と食事しているところを撮影して9月19日に放送されました。