Another Story 坂本憲一/後編 「もちろん優勝回数は伸ばしていきたいけど、まだまだ卓球を楽しみたいですね」
卓球王国2024年8月号掲載「Another Story」全文掲載
■Profile さかもと・けんいち
1958年1月10日生まれ、神奈川県出身。六角橋中1年時に卓球を始め、相模工業大学附属高(現・湘南工科大学附属高)2年時に全日本ジュニア準優勝、3年時にインターハイ優勝。日本大に進学し、78年全日本選手権混合複優勝、78年全日本学生選手権優勝。日産自動車に入社2年目の全日本選手権で男子シングルス準優勝。世界選手権は1979年ピョンヤン大会から3大会連続出場を果たした。全日本マスターズは前身の全日本社会人・年齢別の部を含めて通算20回優勝。
アペルグレン戦は、10回試合をすれば1回か2回は勝てる。そのたまたまが出たんです
現役時代、全日本選手権では日本大3年時から6年連続でベスト8以上に入った坂本。日産自動車に入社して2年目に初めて決勝に進出し、前原正浩(協和発酵・当時)とゲームオールの熱戦を繰り広げた。
2ゲームを先取された時、脳裏に浮かんだのは戦術ではなく、『このままだとテレビ中継の時間が余ってしまうんじゃないか』という心配。冷静な気遣いが坂本らしいが、ゲームカウント2−2に追いつき、優勝がかかった5ゲーム目も中盤で大きくリードしながら、ロビングも交えて初優勝への執念を見せた前原に僅差で屈した。
現役生活のひとつの集大成は83年世界選手権東京大会。男子シングルス2回戦で当時のヨーロッパチャンピオンであるアペルグレン(スウェーデン)を破ったのだ。中·後陣で粘るアペルグレンを、強打とストップを交ぜて前後に揺さぶり、3−0での快勝だった。
「10回試合をすれば1回か2回は勝てる、そのたまたまが出たんです。それに競った3ゲーム目を落としていたら、4·5ゲーム目は一方的なスコアでやられていたと思う」。坂本は謙虚に語るが、地元大会で日本男子が苦戦を続ける中、強い輝きを放った殊勲の星だ。
「パワーは日本選手より上だけれど、海外選手のほうがやりやすかった」と坂本は言う。まだスウェーデンのオールラウンドプレーが、中国のペン表速攻を越えることができなかった1980年代前半。坂本のプレースタイルも十分に世界で勝つチャンスがあったように感じるが、国内で勝てるプレーと世界で勝つためのプレーの違いに悩まされた部分もあった。
「当時のトップ選手はみんな悩んでいたと思います。世界の舞台に立つためには、まず日本で勝たないといけない。世界で勝つ戦術と日本で勝つ戦術はちょっと違いますから。ただ、高島(規郎)さんや小野(誠治)さんを見ていると、『世界で勝つ』という意識が非常に強かった。私も日本でドライブをかけられた時、『世界はこんなもんじゃない』という意識でやっていれば、まだやり方があったかもしれないですね」
「ダラダラ続けるのも良くないと思った。完全燃焼したという感じはありました」という坂本は、社会人4年目で現役を引退。6年ほどの中断を経て、マスターズでの卓球人生の「第二章」が始まった。
日産自動車では物流のエキスパートとして、60歳で定年を迎えるまで生産管理部門に所属し、中国への単身赴任も二度経験した。中学時代は荘則棟や李富栄など中国選手に憧れた坂本だが、中国ではラケットを握る機会はなく、マスターズでもフィフティ(50歳以上)では2011年大会で15回目の優勝を果たした後、中国赴任による欠場などで優勝から遠ざかった。
しかし、16年大会では59歳を目前にして意地の優勝。フィフティになったばかりの選手とは10歳近い年の差があるのだから、59歳での優勝は並大抵のことではない。ほとんど練習ができない中、フォーティからフィフティと年齢が上がるに連れて「貯金」が尽きてきたという坂本だが、定年退職後はそれまでの鬱憤を晴らすように練習に没頭。67歳の今、ハイシックスティでは無双の強さを発揮している。
マスターズの選手はやっぱり健康が大事。ライバルとの戦いだけでなく、自分の体のメンテナンスが大事になる
坂本は試合を戦ううえで意識すべきポイントを、いくつかのキーワードで記憶しておく。
たとえば「CSST」、すなわち「コントロール·スピン·スピード·タイミング」。ミスをした時、「タイミングの『T』が良くなかった」というように、4つの中でどれが悪かったのかがわかりやすい。そして試合では勝率を高めるために「SS」、「ストロング·フィーリング(強い気持ち)」と「サプライズ(意外性)」を重視する。
ちなみに「CSST」の並びの理由は、「チョー·スキ·スキ·タッキュー」になるから。技術や戦術以前に、何より卓球が好きなことが基本なのだ。そんな少々「お茶目」な一面も見せたかと思えば、試合に臨む心構えは実にシビアだ。試合の目標は常に「ゼロで勝つ」。
試合はまず11−0で勝つことが目標。それができない時には5点以下で勝ち、それも難しい時は、9−9以降の2点差のゲームを絶対に落とさない。この「三段構え」で、坂本はマスターズの24年大会で戦ったゲームのうち4割近くを5点以下で取り、2点差の接戦のゲームは5ゲーム中4ゲームを制した。
「去年(2023年)はオール3−0で優勝できましたけど、競ったゲームが数ゲームあって、全部取ることができた。それはたまたま取ったわけではなく、日頃から競った時のプレーについて考えているからです。普段の練習試合などでも、競った場面では日頃から集中力が高まりますね」
試合で9−9になった時は、それまでの18本のラリーから、その局面での「最適解」を導き出す。坂本は現役時代、全日本などの重要な大会では、ラブオールからゲームセットまでのラリーをすべて記憶していたという。
ちなみに「坂本憲一が坂本憲一と戦う」としたら、どう攻略するのか。「昔はそんなこともよく考えましたね。自分と同じタイプとやったら、勝つ自信があるんですよ」。そう言って笑う坂本から、結局「坂本攻略法」は聞き出せなかった。やはり守りは堅いのだ。
これほど技術、戦術、メンタルと周到な準備を重ねながら、意外にも坂本は優勝を目標にして大会に臨むことはないという。マスターズの組み合わせを見て「このラウンドでこの人と当たる」という皮算用をすることはなく、常に「一戦必勝」。まず初戦に勝たなければ、次の試合はないからだ。強いて言えば、翌年に推薦出場できるランク(ベスト8)入りがひとつの目標になる。
マスターズでの20回の優勝の陰には、頂点に立てなかった無数のライバルたちの存在がある。「打倒・坂本」を目指してマスターズに臨むライバルたちの中には、入念な対策を感じさせる選手もいる。技術面や戦術面の強化は歓迎するが、中にはサービスの構えに入ってからなかなかサービスを出さないなど、坂本が「大嫌い」だという遅延プレーでリズムを崩そうとしてくる人もいる。
「遅延プレーは、何より相手に対して失礼だと思うんです」と坂本は言う。高校時代や大学時代、坂本は試合で後ろに転がったボールを、常に走って拾いに行っていたという。ボールが転がっていく間、次の1球での戦術を瞬時に考えていく選手たち。ゆっくりボールを拾うと、それだけ相手に考える余裕を与えてしまい、自分が不利になる。その早いリズムが体に染み付いているからこそ、必要以上の遅延プレーは腹立たしいのだ。
マスターズでは、坂本のベンチに入るのは妻の久美。中央大時代は強豪ひしめく関東学生選手権を制した強者だ。22年全日本マスターズでは、ふたり揃ってハイシックスティ優勝。今も年下の男子選手との練習だけでなく、夫婦で週に4~5回はボールを打ち合う。
「だいたい女房との練習は、試合で使う戦術の練習。若い子とやる時は打たせて取る練習だけど、自分から打つ練習をやりますね。最近は私も現役時代より戻りが遅くなっているけど、女性は打つタイミングが早いから良い練習になるんですよ」
長女·詩織、次女·沙織、三女·真織の3人の娘も、卓球の強豪校から坂本の母校·日本大に進学。沙織はインターハイと全日本学生で女子ダブルスを制するなど、同世代のトップ選手として活躍した。今では3人とも良き母となり、坂本には10人もの孫がいる。
来年も石川県で行われる全日本マスターズ。坂本は新記録となる21回目の優勝に挑む。さらにサーティからの5つの年代で優勝を飾り、将来的には9つの全年代優勝という、前人未到の偉業に挑戦できる立場にある。
「坂本がいる限り、マスターズでの優勝は無理だなと思うけれど、坂本と当たるところまでは行けるよう頑張りたいですね」と語るのは、マスターズ仲間の本橋だ。
「マスターズに行くと必ず坂本に会えて、いつもニコニコしていろいろな話をしてくれる。あれだけ強いのにおごったところがないし、とても尊敬できる選手。卓球選手の鑑ですよね。マスターズに坂本がいなかったら、寂しくなっちゃいますよ」(本橋)
マスターズは大人になってから卓球を始めた選手たちの夢舞台でもある。全国出場を目指して日々練習するマスターズプレーヤーに、何かアドバイスはあるだろうか。坂本は「自分とは違うスタイルの練習に、楽しみながら取り組むのも良いですね」と語ってくれた。
「たとえば私だったら、台から下がってポーン、ポーンとラリーを続ける練習もこれから取り入れようと思います。いつも勝つための練習ばかりだと気が張ってしまうでしょう。プレーの幅を広げるための練習に楽しみながら取り組んでいけば、試合での対応力もついていくと思います」
卓球への深い理解と愛情を感じさせる言葉だった。「もちろん優勝回数は伸ばしていきたいけれど、まだまだ卓球を楽しみたいですね」と言う坂本。独創的なプレースタイルを頑固一徹に貫きながら、試合後の握手で見せる笑顔には、永遠の卓球少年の面影を宿している。
1月10日に67歳の誕生日を迎えた坂本。スリムで引き締まった体躯だが、「体重は現役時代に比べるとこれでも10キロくらい多いから、あと4〜5キロは落としたいね」と言う。
「マスターズの選手はやっぱり健康が大事。フィフティくらいからは本当に健康に気をつけないとね。ライバルとの戦いだけでなく、自分の体のメンテナンスが大事になる。河島なんかは節制しているし、凄いですよ。
彼は中学時代からの知り合いで、ああいう14歳くらいで知り合った仲間と50年経っても一緒に練習できたり、たまに飲んだりできる。幸せだなあと思います」
今は健康第一、練習をやりすぎないことも大事。愛する家族と多くのマスターズ仲間に囲まれながら、少しずつ痛みも出てきた体をいたわりながら、「ミスター·マスターズ」は今日も練習へと向かう。(文中敬称略)■