[People]国広哲弥 卓球場創業から21年。四足のわらじを履き、地域へ貢献する卓球人
卓球王国2026年5月号
PEOPLE 国広哲弥(クニヒロ卓球代表・杉並区卓球連盟会長)
くにひろ・てつや
1974年3月1日生まれ、東京都出身。日大一高から東京経済大に進み、卒業の1年後から卓球コーチの道を歩む。選手としても全日本マスターズ・サーティ3位。2005年にクニヒロ卓球を設立。現在は同代表のほか、東京経済大体育会卓球部総監督、杉並区卓球連盟会長を務める

「卓球漬け」の毎日。「お客さんが喜んでくれて、卓球場に笑顔があふれるのが一番のやりがい」
中学から始めた卓球。国広哲弥はまさか自分が卓球場を経営し、どっぷりと卓球界に関わるとは思っていなかった。若い頃には「やんちゃ」をしていた時期もある。しかし50歳の今、杉並区卓球連盟会長、大学卓球部監督、中学校の部活動指導員、卓球場経営者という「四足のわらじ」を履き、多忙ながら充実した日々を送っている。
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東京・中野で生まれた国広哲弥は、中野八中時代から「ウイニングジュニア」で指導を受け始めた。日大一高を経て、東京経済大へ進学。学生時代は卓球に打ち込んだが、チームは関東学生リーグ3部が定位置だった。
卒業後は起業して中古車販売を手がけたものの、事業は振るわず1年で廃業。「借金を返すために学生の頃にバイトをしていたコーチ業を始めました。卓球場をやるつもりなんて全くありませんでした」と当時を振り返る。
その後、杉並区の上井草に小さな卓球場を構え、30歳で「クニヒロ卓球」をオープン。5年後に荻窪へ移転した。当時は東京でも、ITS三鷹、丸善クラブ、ウイニングジュニアなど、民間の卓球場は数えるほどしかなかった時代だ。
「創業から10年後に代々木店をオープンしました。その頃から都内でも卓球場が増え始め、競争は激しくなりましたが、卓球界も卓球市場も盛り上がっていましたね」
2020年からのコロナ禍では2カ月間の休業を余儀なくされるなど苦境に立たされたが、それも乗り越えた。現在は国広を含め6人のコーチで2店舗を運営している。
自身の指導の場は店舗だけに留まらない。私立新渡戸文化中学校と部活動指導員契約を結ぶほか、10年前からは会社として杉並区内の公立中学(現在は6校)の部活動指導員も請け負っている。
また、卓球場の創業からまもなく理事として加わった杉並区卓球連盟では、20年を経て今年、会長に就任した。「連盟の大会申し込みや登録をWEB化しました。地元の方々に楽しんでもらえる場を作るのは、卓球場とはまた別の地域貢献だと思っています」。
さらに3年前からは、母校・東京経済大の男女卓球部監督も引き受けた。「最初は軽い気持ちだったんです」と笑うが、週1回の練習参加に加え、リーグ戦や全日学、さらには選手勧誘のためにインターハイへも足を運ぶ。想像以上のハードワークだ。
卓球場の経営者として、社員の生活や将来のことにも思いを馳せる。
「まずは社員の生活を考えますから、どのように2店舗を盛り上げていくのかが第一の使命。代々木店の岸川一星、荻窪店の会田祐輔という両店長も本当によく頑張ってくれています」
卓球場、新渡戸文化中、杉並区連盟、そして東経大。全日本ホカバ東京予選などの小学生の大会にも顔を出し、多くの指導者と関わり続ける。休みはほとんどないが、その表情に疲れの色はない。
かつては予想だにしなかった「卓球漬け」の毎日。「お客さんが喜んでくれて、卓球場に笑顔があふれるのが一番のやりがい」と国広は語った。 (文中敬称略)

