[People]小貫美穂子 出澤杏佳を育て、日立で指導を続ける86歳。「後悔しないように死ぬまで指導します」
卓球王国2026年6月号
PEOPLE 小貫美穂子[茨城・日立大沼卓球]
おぬき・みほこ
1940年2月10日、東京生まれ。5歳で茨城県龍ケ崎市へ疎開。インターハイに出場し、卒業後は実業団の日立多賀で活躍。結婚後、近所の子どもたちに卓球を教え始める。二女の菜穂子は四天王寺高、専修大卒業後、日産自動車在籍時に全日本選手権混合ダブルスで優勝。愛弟子の出澤杏佳を小学1年から高校卒業まで指導した

「死にそうになって考えたんです。道半ばでもいい、後悔しないように死ぬまでやろうって」
トレードマークのピンクのニット帽は、愛弟子・出澤杏佳(全日本学生チャンピオン)からのプレゼントだ。「私はピンクが好き。桜も大好きなんです」。小貫美穂子の卓球指導歴は50年を越える。二女の菜穂子をはじめ、中山翠、中村郁美、一ノ瀬拓巳など、多くの教え子がここ「日立大沼」の卓球場から全国へ羽ばたいていった。
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戦時中、5歳で東京から茨城県龍ケ崎市へ疎開した小貫。そのまま茨城で育ち、高校1年で卓球を始めた。スタートこそ遅かったが、インターハイや全日本選手権のダブルスに出場するほど没頭した。卒業後は、実業団の日立多賀へ進む。「世界王者の角田啓輔さんたちがバリバリやっていて、いろいろ教えてくれた」。実業団で6年プレーし、現役を引退した。
転機は、3人の娘を授かったこと。近所の子どもに請われて指導を始め、2012年に夫を亡くしてからは、自宅1階を現在の卓球場へと改装した。コロナ禍で一度は引退も考えたが、「やめてはダメだ」という周囲の声に押され、ラケットを握り続けてきた。
出澤杏佳と出会ったのは2009年の冬、出澤が小学1年生の時だった。「キョンちゃん(出澤)は、最初はこれといった長所が見当たらなかった。おとなしいけれど気の強い子でね。入会時は両面裏ソフトだったのを、『これじゃ勝てない』とすぐに剥がして、フォアを表ソフト、バックを粒高に変えさせたんです。周りからは『かわいそうだ』と言われたけれど、すぐに結果を出し始めました」。
小学2年で県チャンピオン、3年で全国ベスト16、4年のカブでは全国2位と成績を上げていった。中学で一度は親元を離れ四天王寺中(大阪)へ進んだ出澤だが、環境の変化に悩み、「帰りたい」と漏らしたこともあった。小貫は母親とともに「今帰っても練習環境がない。我慢しなさい」とあえて突き放し、愛弟子の成長を信じて待った。結局、出澤は中学2年で茨城に戻り、再び小貫のもとで才能を開花させる。
「キョンちゃんは反射神経がいいほうではなかったし、『ラバーのおかげで勝っている』なんて馬鹿にされたこともあったけれど、立派に学生チャンピオンになり、日の丸を背負う選手になった。今も『生存確認』と言ってよく顔を出してくれます。可愛いです」。小貫が目を細めれば、出澤もこう語る。「小学生の頃はすぐ怒られるので怖かった。でも、小貫さんの勝ちにこだわる姿勢、卓球への愛が今の私につながっています。出会って17年、ずっとパワフルな人です」。
実は取材の10日前まで、鬱血性心不全で2週間入院していた小貫。「死にそうになって考えたんです。道半ばでもいい、後悔しないように死ぬまでやろうって」。壁一面に賞状や写真が並ぶ卓球場には、今日も子どもたちが集まる。
「子どもたちを勝たせたい。私は負けず嫌いなんです。心を入れ替えて、また指導を頑張りますよ。今でも球出しもするし、畑仕事もする。高い月謝をいただくより、今の生活のほうがずっと豊かだと感じています」
86歳の現役指導者、小貫美穂子。彼女は今日も、子どもたちのためにボールを出し続ける。 (文中敬称略)


