[People]小山理恵 パーキンソン病と闘うためにラケットを握る。
卓球王国2026年8月号
PEOPLE 小山理恵[唐津PKR代表]
こやま・りえ
1961年7月27日、埼玉県浦和市生まれ。10歳で卓球を始める。26歳の時、佐賀県唐津市に移住。小学校講師を務めていた2018年にパーキンソン病を発症。22・23年ピンポン・パーキンソン世界大会、25年世界パーキンソン選手権優勝。現在は特養ホームに勤務しつつ、パーキンソン病患者の卓球教室「唐津PKR」を主宰

「卓球をやっていた私は『ラッキー』でした」
佐賀県唐津市。この地で、ひとりの女性が難病と向き合いながら、卓球を通して多くの人々に光を届けている。彼女の名は、小山理恵。自らもパーキンソン病を抱えながら、「卓球が人生を救ってくれた」と語り、世界大会への出場、患者をつなぐ練習会の開催など、絶望を希望へと変える活動に日々邁進している。
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埼玉県で生まれ育った小山が卓球を始めたのは、10歳の時だった。以来、中学・高校・大学と白球を追い続ける日々を過ごした。
26歳の頃、小山に転機が訪れる。大学時代の友人の誘いで訪れた佐賀県・唐津市の美しい海、伝統的な祭りの「唐津くんち」、そしておいしい食べ物に心を奪われ、単身、この地へ移住することを決意したのだ。
それから、小山は約40年間、小学校の講師として働きながら、自ら立ち上げたクラブ「唐津レディース」に所属してプレーを続けた。卓球は、常に彼女の暮らしの中心にあった。
ところが8年前、平穏な生活が一変した。小山は左手足の震えや文字の書きにくさ、言葉の出にくさといった症状に気づき、病院を受診。そこで彼女に下された診断は、国指定の難病「パーキンソン病」だった。
しかし、その時に主治医の坪井義夫からもらった「進行を遅らせるには運動、特に卓球は一番良い」というアドバイスが、彼女の心に光を差した。
「ずっと卓球をやっていた私は、『ラッキー』だと思いました。パーキンソン病の世界大会もあると聞いて、病気になったショックより、それを発散できる喜びのほうが大きかった」(小山)
大好きな卓球を武器に、病気と闘う道を選んだ小山は、診断から4年後の2022年、クロアチアで開催された「第3回ピンポン・パーキンソン世界大会」に初出場し、いきなりシングルスで優勝を果たす。翌23年には同大会で2連覇を達成し、25年の「世界パーキンソン選手権」でも優勝を飾った。
だが、彼女が目指しているのは、自分自身の勝利だけではない。アメリカでパーキンソン病患者たちがリハビリとして卓球を楽しんでいることを知り、「日本でも同じような場所を作りたい」と、23年には「PD(パーキンソン病)卓球合宿 in 糸島」を立ち上げた。
この合宿は2泊3日の日程で、26年が4回目の開催。卓球の練習、大会形式の試合のほか、小山の主治医である坪井の講話などもあり、患者にとってはとても楽しく、有意義なイベントだ。
さらに、24年からは小山自らが発起人兼指導者となり、唐津市・佐賀市・神埼市の3カ所で定期練習会「PKR」を開催。卓球未経験の患者をまとめ、練習後には服薬や治療などに関する情報交換会を行って、同じ病気を持つ「仲間」を勇気づけている。
「罹患したことで落ち込んで孤独になり、人に相談できずに過ごしている人たちに『居場所』を作りたいなと思ったのが、活動のきっかけ。自分自身の居場所でもあるんですけどね」
これからも自らを鼓舞し、病気の人たちに希望を届けるべく、小山はラケットを握り続けるつもりだ。
(文中敬称略)


