[People]高木珠江 故郷の卓球の旗振り役となった元名選手。
卓球王国2026年7月号
PEOPLE 高木珠江[熊本県卓球協会会長]
たかき・たまえ
1959年3月27日、熊本県球磨郡球磨村生まれ。旧姓・漆尾。神瀬中時代に全中シングルス2位、熊本女子高(現・慶誠高)ではインターハイシングルス優勝。実業団の第一勧業銀行で5年プレーしたのち、帰郷後の83年に世界選手権東京大会の代表となる。86年より熊本県卓球協会の運営に携わり、2026年5月には会長に就任した

「誰もが自由に発言できる組織にしたい」
2026年5月、熊本県卓球協会の新たな顔として、高木珠江が会長に就任した。かつては選手としてインターハイを制し、世界選手権の舞台にも立った高木。帰郷して結婚したあとは長年、ふるさと・熊本の多くの人々とともに、卓球の振興に力を入れてきた。彼女のこれまでの歩みと、これからの展望について聞いた。
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高木珠江の卓球人生は小学5年の時、熊本県球磨郡の山奥、父が勤める発電所の隣にあった卓球場から始まった。指導者は、卓球経験のない素人から独学で指導法を築き上げた父・孝允(2025年逝去)だった。
「生涯、私も妹も父には敬語以外喋ったことがなかった」と、高木がしみじみ語るほどの厳格な指導を受け、全国中学校大会(全中)のシングルスで2位となるほどの実力を身につけたが、当時は「ストレスから神経性胃炎になって、カマキリのように痩せていた」という。
高校は名門の熊本女子高(現・慶誠高)へ進み、寮生活となったが、その時は「もう、うれしかったですね。みんながホームシックで泣く気持ちがわからなかった」というくらい、解放感に満ちていたそうだ。3年時にはインターハイのシングルスで優勝。その後、上京して第一勧業銀行に進み、実業団選手として5年間プレーした。
82年には退社して帰郷。かねてから交際しており、前年に熊本で卓球ショップを開業していた同郷の高木誠也(明治大→協和発酵)と同年秋に結婚した。その12月の全日本選手権でベスト8に入った活躍が評価され、翌83年には世界選手権東京大会の代表となった。
現役を引退し、出産を経た高木は、ある時、熊本県卓球協会からの要請を受け、3日間、審判員を務めた。
「お手伝いする中で、よく見ていたら、ずっと休んでいる人と、忙しく働いている人がいました。『これはいかん』と思って、その日のうちに翌日のローテーションを組んで、『これでやったらどうでしょうか』と提案したんです」(高木)
それが、協会の仕事の始まりだった。一審判員から始まって、大会の進行を切り盛りするようになり、県のレディース部やラージボール部の部長を歴任。さらには理事長、副会長となる傍ら、(公財)日本卓球協会でも理事、常務理事、全国レディース委員長を務めた。
そして、この5月からは熊本県卓球協会のトップ、会長に就任。
「私はもともと、マネジメントが好きで得意な『お節介おばさん』(笑)。そのうち『お節介ばあちゃん』になってもいいかな、と思ってます」(高木)
全国的にも珍しい、都道府県協会の女性会長となった高木が目指すのは、「郡部の会長さんたちなど、誰もが自由に発言できるような組織」だ。「私の独断で物事を決めるのではなく、皆さんで意見を出し合って、ディスカッションをしていきたいですね」と、抱負を語る。
「ここまでやってこられたのは、ボランティア精神にあふれた役員の皆さんや、先輩方のおかげ」と、感謝の気持ちを忘れない高木。九州、ひいては全国のモデルとなるような協会を作るべく、これからも「お節介」を続けていくつもりだ。
(文中敬称略)



