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「天才」と呼ばれた男、村松雄斗。「カットマンとして、どうせ打たれるからと限界を作っていたのかもしれない」

卓球王国PLUS独占インタビュー Vol.2

彼は間違いなく「天才」と呼ぶにふさわしい選手だった。
村松雄斗が世界ジュニア選手権に初めて出場したのは2011年、15歳の時。組織委員会の部屋へIDカードを取りに行くと、そこにぽつんとひざを抱えた日本の少年がいた。それが村松だった。チームメイトとワイワイ騒ぐでもなく、ただ一人でひざを抱えて座り込んでいた。
しかし、団体戦の決勝・中国戦で起用されると、3番で勝利を挙げる。カットと攻撃の素晴らしさに、当時のITTF(国際卓球連盟)のメディア担当者も驚愕していた。ふだんの物静かな少年と、コート上でのアグレッシブなカットと攻撃のギャップは強烈だった。
誰もが大器と認め、その将来には期待しか抱かない――そんな選手だった。しかし、高校2年時の肘の手術を経て、彼の卓球人生は少しずつ軌道を変えていくことになる。

今シーズン(2026‐2027)、Tリーグ・静岡ジェードでプレーする村松雄斗(写真:Tリーグ)

Interview by

今野昇Noboru Konno

村松雄斗●むらまつ・ゆうと
1996年10月14日生まれ、山梨県出身。全日本選手権ではバンビ・カブ・ホープスで優勝。ユース五輪では銀メダルを獲得。2023年から4シーズン、ドイツのブンデスリーガ1部リーグの「マインツ」「ザールブリュッケン」でプレーした。2026~27年のシーズンはTリーグの静岡ジェード、ポーランドリーグなどでプレー。26年10月4日の時点でTリーグは5戦全勝。所属ファースト

東京アートが休部となり、ドイツに行こうと決めました

●ー東京アートに入ってから世界選手権に出ています。 

村松 2年目と3年目ですね。アートに入って1年目にブンデスリーガの「オクセンハウゼン」に行ってプレーしました。あれは入社時に海外に行ってもいいよという契約でしたから。すでに東京アートでは高木和(卓)さんもドイツでやってましたから。 オクセンは楽しい部分もありましたし、辛い部分もありましたね。みんな大学とかで楽しそうにしてる時、ぼく一人で山の中にいたみたいな感じです。まあ嫌だったんですけど、当時まだオリンピック出たいとかそういう気持ちがあったので、そういう気持ちでやった感じです。

●ーあの頃は結構用具のことで悩んだり、メンタルがきつかったり、結構つらい時期でしたね。用具もバックが裏ソフトになったり粒高になったりしてた記憶があります。 

村松 (用具変更)してましたね。でも、オクセンの人たちは良い人ばかりで、お世話になってありがたかったですね。

●ードイツに行って良かったことは? 

村松 経験を積んだことですね。

●ーその前は世界ジュニア選手権も出ていました。

村松 3回ほど出て、最高はシングルス2位です。でもナショナルチームの合宿に行っても最初は見てもらってましたけど、徐々に端っこの台になっていって、それでモチベーションも下がったりしてました。あとやっぱりカットマンだから、自分をあまり信じられなかった。

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