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2024年1月号巻頭インタビュー 田中佑汰『切り拓く力』その❶

Interview by

柳澤太朗Taro Yanagisawa

[卓球王国2024年1月号より]

写真=中川学 photographs by Manabu Nakagawa
協力=愛知工業大学 special thanks to Aichi Institute of Technology

9月のアジア選手権で世界ランキング2位(当時)の王楚欽を破り、
世界の卓球界にその名を轟かせた田中佑汰。
自らの道を自らの手で切り拓く「ブレない男」は、何を考えながら、
パリ五輪の代表選考レースの最終コーナーへと向かうのか?

バックハンドは普通にやっているつもりです。
意外に周りの評価が高いというか、
そういうギャップが自分の中にもあります

 愛知県豊田市にある愛知工業大の八草キャンパス。爽やかな秋晴れの青空の下、田中佑汰は愛車に乗って颯爽と現れた。
 今年3月に大学を卒業した後も、母校を拠点として練習に励む田中。愛知工業大・男子卓球部の森本耕平監督は、「田中が練習場に来ると、雰囲気がビシッと締まるんですよ。ありがたい存在です」と語る。
 これまで団体戦では抜群に強く、「常勝・名電」の中心でありながら、個人戦ではいぶし銀の実力者という印象もあった田中。しかし、9月のアジア選手権では世界ランキング2位(当時)の王楚欽(ワン・チューチン/中国)を破ってベスト8に躍進し、今までにない突破力を見せた。
 田中佑汰の何が変わったのか。それとも、何も変わってはいないのか。小学生時代からこれまでの競技人生のターニングポイントを振り返ってもらった。

ー少し時間が経ちましたが、アジア選手権で王楚欽に勝った反響は、改めてどうでしたか?
田中佑汰(以下:田中 アジア選手権では林鐘勲選手(韓国)やアチャンタ選手(インド)にも勝ったんですけど、やっぱり最初に王楚欽選手に勝ったことについて言われますね。今まで日本男子がほとんど勝ったことがない選手なので、それが大きかったかなと思います。国際大会を見ていない人でも知っているくらいで、大きなことだったんだなと感じました。

ー今日は「アスリート・田中佑汰」の成り立ちから、少し語ってもらおうと思います。出身は熊本と聞いていますが、卓球を始めたのは千葉ですね?
田中 生まれは熊本ですが、父の仕事の関係で転勤が多かったんです。九州であちこち引っ越しをしていた時期もあって、姉(千秋/現・豊田自動織機女子卓球部コーチ)は福岡で卓球を始めました。
 それから父が千葉に転勤になり、姉が千城クラブに通うようになった。ぼくは付き添いでただ遊びに行っていただけなんですけど、亡くなられた野平(明雄/1956年世界選手権3位)先生が「遊びでもいいから、卓球やらないか」と言ってくださって、最初は本当に球遊びから始めました。本格的にラケットを握るようになったのは小学1年生からですね。

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