川上流星『誰よりも速く』前編 「昔は試合を見られるのが嫌だったけど、最近は逆に見てほしいと思います」
【夏色の残像 インターハイを語る】河野正和「選手で日本一になれなかったから、指導者で日本一を目指した」
卓球王国2026年9月号掲載【卓球にすべてを懸けた、熱闘の記憶】河野正和[元上宮高校卓球部監督]

高校時代の恩師・田中拓氏との約束を果たし、監督就任4年目でインターハイ王者を輩出。
1994年の富山インターハイでは、学校対抗・シングルス・ダブルスの三冠を達成した、
名将・河野正和が猛練習の日々を振り返った。
吉田安夫先生から「よくやったな」と声をかけてもらったことは今も忘れない
インターハイという大会は、私にとって「勝ちたい」という思いだけで走り続けた舞台でした。
選手としては、興国高(大阪)に入学すると2つ上に久世雅之さん(1972年インターハイ学校対抗・シングルス優勝)、ひとつ上に阿部博幸さん(73年インターハイ単複優勝)ら強い先輩がいました。私は2年生でレギュラーになりましたが、インターハイの学校対抗は3位。先輩たちが築いた成績を途切れさせてしまいました。

