【PEOPLE】五十嵐修二「福島・会津を出発点に多方面で活躍。 無名からキャリアを積み上げた快男児」
卓球王国2026年10月号掲載

地元・福島では、卓球場を経営しながら、県卓球協会の理事長として各種大会の誘致や運営に奔走。日本卓球協会においても、指導者養成やクラブ卓球に深く関わり、マルチに活動する五十嵐修二。その卓球人生の歩みと、これからの展望を聞いた。
五十嵐は、中学1年時に部活動で卓球のキャリアをスタートさせた。2年生でカットマンに転向して、戦績が上がったのをきっかけに競技にのめり込み、3年生の頃には団体戦で全国中学校大会(全中)出場を果たした。
その後、進学校の喜多方高へ進み、大学は東北学院大工学部へ。卒業後は、当時地元にあった半導体製造の日本モトローラに技術者として就職した。
「製品を縦に見るデバイス製造と、横に見るプロセス管理、そして全体の品質保証を担当。この経験が後々卓球の指導や協会の運営にも生きた」と、五十嵐は16年余りの会社員時代を振り返る。
そんな五十嵐が一念発起したのは、2001年秋のことだ。不景気の影響で会社の半導体部門が縮小されていく中で、「やりたいことをやろう」と退社を決意。翌02年、実家が営んでいた紡績工場跡地に「喜多方卓球ランド」を創設。当時低迷していた会津地区の卓球をもう一度強くしたい、という思いからだった。
指導者として無名だった五十嵐が最初に手応えを得たのは、次女・麻莉依の活躍だった。幼稚園の頃から卓球を始めた麻莉依は順調に上達。2006年の全日本選手権バンビの部、08年の同カブの部ではベスト4に進出した。その後は病気で競技を断念することになったが、「喜多方卓球ランド」の名を全国に知らしめた。
13年には女子、15年には男子チームを全日本クラブ選手権小・中学生の部で3位入賞させるなど、実績を積んできた五十嵐。その傍ら、会津地区・喜多方市・福島県の各卓球協会で要職を務めるようにもなっていった。
14年には、猪苗代町で行われた「協和発酵キリン第4回4県(岩手・宮城・茨城・福島)〈絆〉卓球交流大会」において、「卓球ラリーに参加した最多人数」の世界ギネス記録に挑戦する記念イベントの段取りを行い、139人という新記録達成の一翼を担った。
現在、五十嵐が最も力を入れているのは、“指導者の育成”である。これまでも全国に先駆けて、指導者資格の取得を県全体で推進してきた。
「私が推奨しているのが、『保護者を指導者にする』こと。自分の子どもを教えることをきっかけに、未経験者にも資格を取ってもらう。それを数珠つなぎに増やしていけば、競技人口も競技力も間違いなく上がっていくはず。そうやって底辺を広げ、ピラミッドの頂点を高くするのが目標です」(五十嵐)
座右の銘は「コツコツがカツコツ」。地道な積み重ねこそが、勝利のコツという意味だ。「地域の声を日本卓球協会に届けて、みんながウィンウィンになれる卓球界にしたい」と、意気盛んな五十嵐。会津の快男児の、今後ますますの活躍に期待したい。 (文中敬称略)

■ PROFILE いがらし・しゅうじ
1962年7月26日生まれ、福島県喜多方市出身。喜多方市立第三中、喜多方高、東北学院大卒。日本モトローラ社に16年余り勤務したのち、脱サラして「喜多方卓球ランド」を創設。現在は会津卓球協会理事長、喜多方市卓球協会副会長、福島県卓球協会理事長、東北卓球連盟理事長、日本卓球協会指導者育成委員会副委員長、同クラブ委員会委員を務める。レフェリーとコーチ4の資格も保有

