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小園江慶一郎 「富士通の経験があるからネットショップの仕事はよく理解できます」

卓球王国PLUS独占インタビュー [小園江慶一郎  こぞのえスポーツ社長]前編

日本で有数の卓球ショップ&ネットショップを経営するかたわら、子どもたちや一般の愛好者の指導も続ける「こぞのえスポーツ」。
創業者の小園江慶二会長が立ち上げたのが1976年。倒産の危機を乗り越えながら、国内最大手のショップとなり、2015年には長男の慶一郎が福岡に戻った。
2019年に社長に就任した小園江慶一郎。新たな人材を欲する彼が激しい国内競争の中で目指すものとはなんだろうか。

Interview by
今野昇Noboru Konno

こぞのえ・けいいちろう
1974年生まれ、福岡県出身。南福岡卓球クラブで全国ホープス大会準優勝、柳川高校時代に国体と全国高校選抜大会で3位、同志社大に進み、インカレで3位。卒業後は富士通に入社し日本リーグで3年半プレーし引退。富士通には17年間在職したのちに2015年こぞのえスポーツの副社長に就き、2019年に社長に就任した。ビジネスのみならず卓球の指導にも力を入れ、全国ホープス選抜福岡県監督(2018年準優勝,2019年ベスト8)も務めた

1977年に「こぞのえスポーツ」として福岡市中央区薬院に卓球場をオープン。1979年に法人化して、福岡市南区へ本社移転

「こぞのえスポーツ」は福岡県春日市春日市須玖北に卓球ショップ、卓球場をを構え、ネットショップとして卓激屋、卓球応援団、Yahooショップ、楽天市場などに出店している。国内最大手の卓球専門店である。その「こぞのえスポーツ」が社員募集をしている。
小園江慶一郎社長は「卓球で未来を創る」をスローガンに、卓球の地位向上のために、地域貢献や、アジアのハブ都市である福岡ならではのコミュニティを作ろうとしている。

●―日本で最大規模の卓球ネットショップを持つ「こぞのえスポーツ」の小園江慶一郎社長にいろいろ伺います。まずは創業者である父・小園江慶二さん(現会長)に触れましょう。 

小園江慶一郎(以下K) 小園江家は福岡の久留米にあり、父慶二はそこで生まれています。

●―小園江は珍しい名前ですね。 

K 茨城にそういう地名はあるらしいですけど、流れ流れて福岡にたどりついたのかも(笑)。ぼくの曽祖父が久留米で鉄工所をやっていて、朝鮮戦争の特需で工場を大きくして、レクリエーション用に卓球台を置いていたらしいです。それで父の慶二が小さい頃から卓球で遊んでいたということです。父の兄、ぼくのおじさん(俊治)は卓球をやっていなかったのに、パソコンが得意で、「卓球応援団」(ネットショップ)を作ったそうです。

●―え? おじさんが「卓球応援団」を作ったんですか? 

K 当時60歳を過ぎていて、EC-CUBE(イーシーキューブ)っていうUNIXベースのサーバーでネットショップを作ってたんですよね。それが今でも稼働してるわけです(笑)。でも卓球は全くやってないです。 

●―父の慶二さん、今会長ですけど、会長は小さい頃から卓球をやっていたんですね。 

K 南筑高校っていうところで福岡県チャンピオンになって、全日本ジュニアに出ていますね。父から聞いた話では全日本で観戦に夢中になって帰れなくなった時に、早稲田大卓球部の主務の人が声をかけてくれて、帰れないと言ったら、「うちの寮に寄ってけよ」と言って、泊めてもらい、早稲田で卓球をやりたいと思ったそうです。でも進学校でもないから、相当勉強して一般入試で早稲田大学の教養学部にに入った。 小さい頃から計算が早くて、田舎で神童のように言われたらしいです(笑)、本人曰くですけど。 

●―早稲田を卒業して会長はすぐにニッタク(日本卓球)に入るのですか? 

K シンガポールとかでナショナルチームのコーチをしたそうです。

●―今で言うプロコーチですね。 

K しかも海外で。その後、ニッタクに入社して、25歳で結婚して、26の時にぼくが生まれています。本社から福岡営業所に移り、所長を2年間やってから退職し、1976年に「こぞのえスポーツ」として福岡市中央区薬院に卓球場をオープンしています。ニッタクの営業所の近くのボーリング場の横のフロアに卓球台を8台置き、2階がショップでした。1979年に法人化して、福岡市南区へ本社移転、1991年には春日市須玖南に移転して、2008年に現在の春日市須玖北に移転しました。子どもを集めて南福岡クラブとして全国ホープス大会とか、ホカバ、カデットとか出ていますけど、
福岡ではこのクラブと豊津クラブ(のちに有延大夢を輩出)が、最初だったと思います。子ども時代のぼくの中では、父はショップの社長というよりも卓球の指導者という感じですね。

全国ホープス大会で後列が小園江慶二、前列左が慶一郎
慶一郎(後列左端)は福岡代表として国体3位
2010年、子どもたちの指導でベンチに入る小園江慶二

実は、2004年に卓激屋を作る前に「こぞのえスポーツ」は危ない時期がありました

●―やっぱり教えるのが好きだったんですね。 

K 福岡市の中でレディースの組織も作っていましたね。当時は家庭婦人と言ったり、ママさんと言っていましたが、全国に先駆けて組織ができていたと聞いています。

●―ショップに力を入れるのは? 

K 2004年に卓激屋を作ってからですね。当時は福岡ではショップとしては平和台卓球の相原さんがダントツのNo.1でした。実は、2004年に卓激屋を作る前に「こぞのえスポーツ」は危ない時期がありました。 

●―その話は会長さんから聞いたことがあります。 

K 当時お付き合いしていた銀行や、注文をいただいていた実業団チームが次々休部になり、バブルがはじけた状態だったと聞いています。ぼくはその頃、大学生で、妹は高校生で一番お金がかかる時期でしたね。
それに福岡市内に卓球ができるラウンジを作ったり、手を広げすぎたこともあったでしょうね。それに妹のチームの指導に夢中になり、商売そっちのけになり、社員も嫌気が差したようなことを会長は言ってました。

●―当時慶一郎さんは大学生?

K 地元の柳川高校から同志社大学に入って、卓球をやってました。 

●―でも会長は会社の危ない時期を乗り越えていくんですね。 

K 1995年から2000年初頭までは苦しかったけど、卓激屋の売上が大きかったですね。ちょうどネットビジネスのトレンドが始まる時期ですね。ショップが大変な時期でもニッタクさんは仕入れの条件を変えなかった。だからニッタクさんは裏切れないです。

 ●―2000年くらいだとまだWifiがないですからね。電話回線のISDNとかにつないでピーッピーッ鳴らしていましたね。

K メールもFAXに毛が生えた程度でしたね(笑)。

 ●―2004年からのネットビジネスは当時でも早いほうですね。 

K それにショップが持ち直したのは健勝苑のスーパーサーキットとか、SC卓球場があった頃に、キング&クイーンというブランドを作って、撤退するからと在庫を引き取って、それを購入してくれたお客さんにプレゼントしたんです。
その頃からですね。その時の成功体験があるから今でもプレゼント商法はやっています。 でもこの時期はぼくが全く卓球とは関わっていない時期です。 

同志社大1年の時の小園江慶一郎(前列左端)
福岡県春日市須玖北にある「こぞのえスポーツ」。1階が卓球ショップとネットショップ、倉庫で、2階が卓球場となっている

ぼくは会長よりも保守的ですね。在庫の取り方にしても会長は強気で取る方だけど、ぼくは慎重です

●―慶一郎さんは同志社大学を卒業して神奈川の富士通に入りますよね。 

K 当時は富士通も日本リーグに入っていて、声をかけてもらいました。富士通も卓球部の部員を採用するのは5年ぶりと言ってました。ただぼくが入社して4年後に日本リーグから撤退するので、ぼくが日本リーグでやったのは3年間です。富士通には17年間いました。ずっと購買本部の調達部門とシステム部門でした。Eビジネス、いわゆる電子取引が始まった頃で、その経験があるからネットショップの仕事はよく理解できます。 

●―福岡に戻る選択はなぜでしょう? 会長に呼ばれたんですか? 

K ずっと富士通に残るつもりでしたし、マンションも買っていました。ところが卓球応援団を立ち上げた父の兄が2014年に亡くなって、それがひとつのキッカケとなり、父にあとを継ぐことをそろそろ考えないかと言われたんです。ぼくが富士通に入った頃はこぞのえスポーツは数千万円だった売上が、その頃は10倍以上になっていましたね。
1年間ぐらいかなり迷いましたが、最終的には自分から「やりたい」と思って決断しました。 それでぼくが福岡に帰って、最初は副社長として承継していくんですけど、当時10人くらいいた社員ですが、彼らは社長(現会長)を慕って、体育会系のノリで仕事をしていたんですが、ぼくが2019年に社長になって次々に辞めていきました。
ぼくも父とは8割意見は合いますけど、2割は合わない部分もありますからね。一人抜け、二人抜けみたいになり、そして一人入れ、二人入れ。そうやって、何て言うのかな、だんだんぼくが採用した人間が増えてくるわけですよ。
 2015年に福岡に帰ってから、楽天市場やYahooにも参入していきますが、コロナ禍の時が大変でしたね。社員が辞めていったのもその時期です。社員は現在、パートの方も入れて25人です。

●―今年が創業から47年目で、もうすぐ50年ですね。

K あっという間ですね。ぼくは会長よりも保守的ですね。在庫の取り方にしても会長は強気で取る方だけど、ぼくは慎重です。会長はガツンと注文するけど、ぼくは富士通時代にコストダウンしか言われていないから、それが染み付いています。

 ●―会長の時代、在庫を切らすことが「悪」みたいな感じだったしょうね。

K そうです。具体的に金額は言えないんですけども、在庫の金額はね、倍くらい違うんじゃないですかね。 <後編へ続く>


全日本選手権で前原正浩(元全日本チャンピオン)と対戦する小園江慶二
早稲田大同期の田阪登紀夫と小園江慶二。田阪は慶一郎が同志社大に進んだ時の卓球部コーチだった
早稲田大学卓球部。前列左から3人目が小園江慶二

創業者・現会長の小園江 慶二
こぞのえ・けいじ
1947年10月9日生まれ、福岡県出身。南筑高、早稲田大卒。日本卓球㈱勤務を経て、76年地元福岡に卓球場兼専門店「こぞのえスポーツ」を開業。指導者・経営者として長年活動してきた。19年には71歳で福岡女学院高の卓球部初代監督に就任

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