[People]青木弘吉 「地元の子どもたちを再び日本一に」60年間貫く、卓球への情熱
卓球王国2026年8月号
PEOPLE 青木弘吉[長井ジュニアAOKI卓球クラブ代表]
あおき・こうきち
1947年1月4日生まれ、山形県長井市出身。小学校の部活動で卓球を始め、豊田中卓球部では県大会の団体戦で優勝(当時はまだ全中がなく、県大会までだった)。高校卒業後に東京に出るが、帰郷して仕事のかたわら卓球を指導。べにばな国体開催を機に、地元の子どもたちを指導し、全中で優勝に導いた。その後、ジュニアクラブを立ち上げて指導を続けている。元長井市卓球協会会長

「目を輝かせながらボールを打つ子どもたちの姿を見ることが、喜びと生きがいになっている」
山形県長井市。この地を、青木弘吉は敬愛を込めて、「水と緑と花の長井、そして卓球の街・長井」と呼ぶ。現在79歳、指導歴60年を数える青木の人生は、まさにこの街の子どもたちと卓球に捧げてきた。
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卓球をしていた兄の影響で、小学4年でラケットを握った青木弘吉。地元の豊田中(現在の長井南中)では、のちに長井市の卓球発展のためにともに尽力することになる、一学年上の鈴木文雄とともに県大会の団体戦で優勝。高校卒業後、一旦は東京に出るが、帰郷後は酒店の仕事をしながら、長井市で卓球の指導を始めた。
青木の指導の根底にあるのは、「地元の子どもたちで日本一を目指す」という並々ならぬ執念だ。かつて「べにばな国体(1992年)」の卓球競技が長井市で開催されることが決まった際に、外部から有力選手を呼び寄せるのではなく、「地元長井から選手を出そう」という卓球協会の方針のもと、青木は少年男子強化スタッフに任命された。
そうして長井市の子たちを鍛え上げて、1988年の全国中学校大会では男子団体で長井北中を優勝に導くと、べにばな国体でも少年男子5位という成績を残した。
しかし、順調に見えるその歩みは、決して平坦なものではなかった。長年、本業である酒店の仕事をしながら、夕方から夜にかけて指導に当たる日々を送っていた青木。26年前の冬にビールを配達中、ケースを持ち上げた際にすべって転倒し、腰を負傷。手術を受けるという大きな試練にも見舞われた。だが、体が万全でなくとも、青木が卓球の現場を離れることはなかった。
「目を輝かせながらボールを打つ子どもたちの姿を見ることが、私の喜びと生きがいになっています」(青木)
そして20年ほど前に、子どもたちが心置きなく練習に打ち込めるよう、私財を投じて専用の卓球場を構えた。月謝はどれだけ通っても2000円。利益よりも、地域への貢献と「卓球の街・長井」の看板を継続させていくという、強い責任感のためだ。
学校を終えた子どもたちが卓球場に集まって練習が始まると、青木はタオルをはちまき代わりにして頭に巻く。青木の「スイッチ」が入る瞬間だ。腰の痛みを抱えながら、多球練習で次々とボールを送り出すその姿は、子どもたちを強くしたいという情熱そのものだ。
「子どもたちが伸びていく姿を見るのが、何とも言えずうれしい。それがもう何十年と生活の中心になっている」と語る青木の目は、常に未来を見据えている。卓球場で初めてラケットを握る幼稚園児から、全国で活躍する小学生まで、今も22人の子どもたちを毎日3時間、休みなく指導し続けている。
「もう一度、長井から日本一を出すこと。そして世界を見据える選手を育てたい」。青木の目標は今も変わらない。
79歳の熱血指導者は、今日もタオルのはちまきを締めて、地元の子どもたちとともに「卓球の街・長井」の誇りを繋ぎ続けている。(文中敬称略)



