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【セカンドキャリア】塩野真人「全国を回りながら愛好者とボールを打つのは本当に楽しい。これからも卓球の楽しさを伝えていきたい」

[世界選手権メダリスト・スティガジャパン]

卓球王国2025年1月号掲載 vol.18

卓球少年は全日本ジュニアでベスト8に入り、早稲田大へ入学。国体優勝をきっかけに日の丸をつけてプレーすることへ目標を変えた塩野真人。
27歳の時にジャパンオープンとチェコオープンで優勝し、2014年には晴れて世界選手権日本代表となり、団体メダリストになった。
30歳で現役を引退し、卓球メーカー「スティガジャパン」に入社し、全国を回っている。

Text by

今野昇Noboru Konno

[しおの・まさと]
1986年4月30日生まれ、東京都出身。中学・高校時代に全国大会の個人戦の上位入賞はなく、東京アート入社後、2013年ジャパンオープンとチェコオープンで優勝。14年世界選手権東京大会の日本代表となり、団体銅メダルを獲得。世界ランキング最高位22位(2014年6月)。30歳の時に現役を引退し、スティガ・スポーツ・ジャパン株式会社に入社し、マーケティングと営業の仕事に従事している

2013年のジャパンオープンでいきなり荘智淵(チャイニーズタイペイ)を破った塩野。そのまま勢いに乗り、優勝した

 

大学3年時の秋田国体で優勝。「もっと卓球をやりたい、上を目指したい」という気持ちが湧いてきました

塩野真人は小・中学生時代に目立った成績はない。高校で全日本ジュニアでベスト8に入ったことで早稲田大に推薦入学。教員志望だったが、大学3年時の国体優勝で、卓球選手として覚醒した。東京アートでは控えの時から努力を続け、ジャパンオープン優勝、チェコオープン優勝と一気に世界へ飛び出し、世界選手権日本代表として団体のメダルを胸にかけた。現役引退後は卓球メーカー「スティガ・スポーツ・ジャパン」に入社した。

◇◇

 小学4年の時に卓球を始め、ほどなくカットマンになりました。父が高校の時、同期の星野一朗さんと対戦して、憧れていて、子どもをカットマンにしたかったみたいです。週2回フジイケクラブで練習をして、あとは父や兄と公共の体育館や大人のクラブで練習していました。

 小学6年の時に一度だけホカバ(全日本ホープス・カブ・バンビ)に出ています。全日本カデットでベスト8に入っていますが、全中(全国中学校大会)では全然ダメでした。

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