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糀谷博和「あなたが思っている以上に、厳しい卓球での生活が将来の人生に必ず活きます」

[元全日本2位]

2024年1月号「セカンドキャリア。選手たちのその後」より vol.1

青春時代、卓球にすべてを捧げ、日本のトップを目指した選手たち。彼らはラケットを置いた後にどんな人生を歩み、セカンドキャリアを重ねるのか。
ひとり目に紹介するのは糀谷博和。生まれつき右手に障がいを持ちながらも、反骨精神と努力、そして明晰な頭脳で日本の頂点に近づき、そして卓球界を去った男。引退から20年、社労士(社会保険労務士)として成功する糀谷を支える原動力は「卓球選手としての経験のすべて」と語る。

Text by

今野 昇Noboru Konno

[こうじたに・ひろかず ]
1971年8月6日生まれ、大阪府出身。小学4年で卓球と出合う。中学の時に全国中学校大会に出るも全国的に無名だったが、上宮高1年の時に全日本ジュニアで3位、3年時にインターハイ2位。早稲田大に進み、4年時の1993年全日本選手権で2位。卒業後、びわこ銀行に入り、2000年の全日本選手権で現役を引退。現在、糀谷社会保険労務士事務所の代表、株式会社陽転の社長を務め、滋賀県を中心に全国に顧客を持ち活動する

写真提供:糀谷社会保険労務士事務所 

右手の障がいで「普通の仕事ができるのか」と悩む。そして、強烈な指導者、田中拓との出会い

大阪市平野区に生まれた糀谷博和。生まれつき右手4指欠損という障がいを持ち、小さい頃はイジメにもあった。父も病気で車椅子生活だったため、家計は母が支えていた。

小学4年で卓球と出合うまでは野球少年だったけど、右手の指がないので野球を断念。卓球なら左手一本でできるし、おもしろかった。ぼくの中には健常者に対する反骨精神があった。

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