[People]吉村美智恵 40代からの努力で全九州・全日本女王に
卓球王国2026年9月号
PEOPLE 吉村美智恵[COSMOS]
よしむら・みちえ
1940年11月5日、福岡県糸島郡(現・糸島市)生まれ。旧姓・岡部。怡土中2年の時に卓球を始める。糸島高を経て岩田屋に入社するが、約1年後に結婚を機に退社。30代半ばで卓球を再開し、40代から全九州選手権に出場。同大会では2026年までに年齢別で優勝10 回。15・25年には全日本マスターズでも優勝している

「これからは『楽しい卓球』を目指したい」
御年86にして、現役選手・指導者として活躍を続けている吉村美智恵。全日本マスターズや全九州選手権、全日本ラージ、世界ベテラン大会などで数々の優勝・入賞記録を誇る彼女だが、意外にも、本格的に勝負の世界に足を踏み入れたのは、40代に入ってからと遅かった。その長い卓球人生を振り返ってみよう。
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吉村美智恵は、福岡県糸島郡の農家に生まれた。怡土中の卓球部に入っていた6歳上の姉のつながりで、自身も中学2年の頃に、卓球部に入部。熱心な顧問の先生や先輩たちと、日々夢中になって練習に励んだという。
高校は地元の糸島高へ。同校の先輩に誘われ、卒業後は当時、実業団チームのあった百貨店の岩田屋に就職した。しかし、勤め始めて1年ほどの頃、職場の上司と結婚することになり、20歳を前に退社。それからしばらくは、ラケットを握らない日々だった。
転機は、30代半ばの頃に訪れる。町内対抗の卓球大会に出たのをきっかけに、週に1度程度、近隣の公民館で練
習するようになった。それから「福岡市主婦卓球愛好会」という大会に出場したところ、当時、福岡市卓球協会の理事長を務めていた田川楠雄から声をかけられた。その田川から「今度、私の知り合いが卓球場をすることになったから、行ってごらん」と勧められ、訪れたのが平松秀敏(現・福岡市卓球協会理事長)が開いた平松卓球場だった。
「朝から主人を職場まで車で送って行った帰り、まだオープン前の時間に平松さんが卓球場を開けてくれて、ほかの方が来られる前に、たくさん指導をしていただきました」(吉村)
それで地力をつけた吉村は、40歳になる年に、初めて全九州選手権に出場したが、初戦で長崎県代表のカットマン・多久島玲子に完敗。吉村にとって、それが「カットマン」というタイプの選手と対戦した、初めての経験だったという。ここで、彼女の闘争心に火がついた。
「当時、九州産業大の卓球部監督だった、平和台卓球センターの相原安男さんに、『大学生でカットマンがいたら紹介してください』と頼んで、週に1回、練習させてもらうようになったんです」
強豪の大学生と練習する中で、吉村の卓球は磨みがかれていった。1986年には、福岡県で開催された全日本社会人
選手権・年齢別の部(現・全日本選手権マスターズの部)に初出場し、フォーティで3位に入賞。93年には、53歳にして全九州選手権・年齢別の部(現・マスターズの部)で初優勝を飾った。
以降、全九州マスターズでは2026年を含め、計10度優勝。全日本マスターズでも、75歳だった15年と、85歳の時の25年に2度、日本一の栄冠に輝いた。
しかし、吉村は言う。「昔、負けていた時は本当に楽しかった。それが、結果が出始めてからは必死になるばかりで全然楽しめなくなった。勝てば『うれしい』という気持ちはあるんだけど、『楽しい』ってどんな気持ちだったのかが思い出せない。課題はそこなんです」。
これからは「楽しい卓球」を目指したい――勝つことよりも難しい、禅問答のような目標に向かって、吉村は今日もラケットを振り続ける。
(文中敬称略)





