挑戦の地へ。岸川聖也「ぼくは3部リーグで勝つために 毎日練習しているわけじゃない」
卓球王国2003年2月号 【アーカイブ】挑戦の地へ。 Vol.3
Japanese raw gems polished in Germany!

2002年に日本男子の新しい時代がスタートした。水谷隼、高木和卓に先立って坂本竜介、岸川聖也がドイツの地を踏んでいた。

岸川聖也・きしかわ・せいや
福岡県北九州市出身、1987年5月21日生まれ。インタビュー当時、仙台育英秀光中3年。全日本選手権バンビ、ホープス、カデットで優勝。02年ITTFプロツアー・ジャパンオープン21歳以下準優勝。世界ランキング254位(2002年11月29日現在)。2002年からブンデスリーガ3部リーグ『ミュンスター』でプレー。のちにブンデスリーガ1部リーグで活躍し、世界選手権団体・男子ダブルス・混合ダブルスでメダルを獲得。2012年ロンドン五輪ではシングルスでベスト8。現在、全日本男子監督を務める
Interview by
北九州生まれの口数が少ない中学3年生、岸川聖也は、坂本竜介とともにドイツへ渡り共同生活を始めた。目指すはプロ卓球選手。 彼らの才能を見出したのは、当時ヨーロッパ最高峰の指導者と称されたマリオ・アミズィッチだった。 当時の日本では「ヨーロッパの指導者に日本選手が育てられるわけがない。日本人には日本人に合ったスタイルと練習法がある」といった懐疑的な声が根強く存在していた。 しかし岸川はその後、インターハイ3連覇という偉業を達成。批判していた大人たちを実力で黙らせるとともに、当時の高校卓球界のプレースタイルを大きく塗り替えてみせた。
Interview 岸川聖也 Seiya Kishikawa
ぼくは3部リーグで勝つために毎日練習しているわけじゃない。最終的に世界で勝つために練習しているわけだから。
9月のジャパンオープンでは21歳以下の部で準優勝し、彼のポテンシャル(潜在能力)とその非凡なボールセンスの一端を見せつけた岸川聖也。シャイな性格ではあるが、自分というものを持ち、自分のペースをしっかりと保てる選手だ。15歳ながら、ブンデスリーガでの試合ぶりも実に堂々として、すでに風格を備えている。
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●—『ボルシア・デュッセルドルフ』での練習はどんな様子だろう。
「練習では自分と同じレベルか、上の人しかいないので、ここでの練習は日本でやるよりは絶対にいい。前は練習でドイツに来ただけだったけど、今はこちらで生活しながら、毎週試合をやるので、良い方向にいっていると思います」
●—大変だったことは?
「すごく落ち込むことはなかったけど、最初のうちはホームシックになって、帰りたいと思ったこともありました。慣れるのに時間がかかりました」
●—ドイツに来る話はいつ頃聞いたんだろう。
「去年くらいからですね。日本の学校でやれば、マリオにはたまにしか見てもらえないけど、ドイツならマリオが毎日見てくれます」
●—練習と練習の間に勉強してるよね。
「きついけど、やらなきゃいけないことなんで、やるしかない。ただ、毎週試合があるし、体もきついです」
●—練習はきついですか?
「それはないけど、日本では実家でも、仙台に移ってからでも、ご飯とかは自動的に出てきたから、そういうのを自分で用意したり、片づけたりするのはちょっとつらいですね。それに、毎週試合があるのがきつい。ぼくは3部リーグで勝つために毎日練習しているわけじゃない。最終的に世界で勝つために練習しているわけだから、日曜日に試合があるから土曜日はゆっくりするということはできない。今は練習をやり込む時期で、その中で試合もやっていく感じだから、それが日本にいる時と一番違います。試合に出てゲームをやるのは楽しいんですけど」
●—プロツアーになると雰囲気が違うでしょ。
「 プロツアーのほうがいい試合ができています。集中できます」
●—世界ランキングは?
「今、253位(11月5日現在)。2カ月前に315位くらいだったけど、ジャパンオープンが終わって、一気に244位まで上がって、ドイツとオランダで下の選手に負けたので9位くらい下がった」

