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[People]内藤雅明 日本リーガーから、日本リーグを支える人へ。

卓球王国2026年7月号
PEOPLE 内藤雅明[(一社)日本卓球リーグ実業団連盟 事務局主任]

Text by
小川勇気Yuki Ogawa

ないとう・まさあき
1998年10月10日、京都府舞鶴市生まれ。地元の「一条クラブ」で、小学校入学前から卓球を始める。中学2年の冬に白糸中から出雲北陵中へ転校し、出雲北陵高、日本大を経て、原田鋼業(現・瀬戸内スチール)に入社。約4年間選手としてプレーしたのちに退社し、2025年2月から日本卓球リーグ実業団連盟事務局で勤務

「みんなが笑顔で終われる大会を作りたい」

現役生活に別れを告げるやいなや、選手が輝くためのステージを用意する立場に転身した内藤雅明。自らが4年間プレーした日本リーグを、裏方としてプロデュースする仕事に精を出している。今後の活躍が期待される若手職員に、プレーヤーとしての歩みから、現在の仕事への取り組み方、将来の目標などを聞いた。。

◇◇

 先に卓球を始めていた兄と姉の影響で、「物心がついた時には、もうラケットを握っていた」という内藤雅明。地元の「一条クラブ」で小畑喜生氏の指導を受けて練習に励み、その小畑氏のアドバイスで小学4年の時、バック面のラバーを粒高に変更した。

 そこから戦績が伸び始めた内藤は、小学6年時に東アジアホープス大会に日本代表として出場。「自分の中では、そこがピークでしたね」(内藤)。

 中学2年の冬からは、島根県の強豪・出雲北陵中へ転校。しかし、バック粒高という「慣れられるとつらい」特殊な戦型のために、部内の競争に勝つことが難しく、高校時代には個人戦の出場機会をなかなか得られなかった。

 進学した日本大はさらにレベルが高く、全国大会上位のスター選手がレギュラーに名を連ねる環境。ただ、比較的自由な空気の中、選手同士で技術を教え合いながらプレーの質を磨いた期間は貴重な体験だったという。

 大学卒業後、内藤は原田鋼業(現・瀬戸内スチール)への入社を選択。大学4年時にはコロナ禍で大会がなかったため、「不完全燃焼のまま現役を終えたくない」という熱い気持ちからだった。

 製造部の工場で汗を流して働いた後、夜から練習に打ち込んだ4年間。「チームには、すごく練習を頑張る人が多くて、本当にやり切れました」。

 そして、2025年2月、内藤に転機が訪れる。現役引退を機に退職を決め、次のステップを模索している時期に縁があり、日本卓球リーグ実業団連盟の小畑幸生事務局長から、職員になってくれないかと、声がかかったのだ。

 「小さい時はお父様(喜生氏)に卓球を教えていただいて、よく知っていた方だったのと、日本リーグで働くことも、誰もができる仕事ではないと思ったので、お世話になろうと決めました」

 選手から事務局員へ。コートの中で戦う側から、大会を準備し、運営する側への転身。実際に裏方に回ってみると、そこには想像を上回る困難があった。

 「準加盟を含め、現在38チームが当連盟に所属しているのですが、会社や組織の規模がチームによってさまざまで、役職や仕組みなども違います。その中で各チームと連絡を取り合って大会に向けて準備をしていくのが、すごく難しい。選手と裏方はまったく違うものですね」

 事務局という新たな「戦場」で、内藤は今、小畑事務局長や佐藤真二専務理事といった、尊敬する上司の背中を必死に追いかけている。今後の抱負を聞くと、彼は次のように答えてくれた。

 「大会に関わる人たちがもっと幸せになれること。みんなが『良かったな』と、笑顔で終われる大会を作りたい」

 日本リーグ全体の幸福という、選手時代よりも大きな目標に向けて、内藤の歩みは続いていく。

(文中敬称略)

2022年の「シチズンカップ 第31回日本卓球リーグ選手権・ビッグトーナメント福島大会」でプレーする現役時代の内藤
「まだ慣れない」という仕事に全力で向かっている内藤(中央)